ポイント
・国際化、ではなくグローバル化。国際教養という視点
・学校歴ではなく学習歴を重視し、社会へのタフな適応力を持つ人を育てる
・日本人としてのアイデンティティ、教養がなければそもそも世界では相手にされない
英語をではなく、英語で、教養を幅広く学ぶ場を実現したのがこのAIUという大学です。日本の大学に蔓延する浅い専門分野の教育ではなく、思考力や向学心、コミュニケーション能力を徹底した英語カリキュラムの中で養います。
日本の歴史を知っているか
英語教育の本を読んでいて、ここまで日本や中国の歴史の重みを感じさせられたのは久しぶりでした。日本人として自分の根を理解しそれを語れることが、どれだけ国際社会で違うバックグラウンドの人たちと理解し合う上で大切なのかを考えさせられるものでした。
文学でも政治でも、昔の人々が国や環境を変えるためにした努力は並大抵のものではないです。それを引き継げるような熱量を持つ人、困難な中でも学ぶことができる若者が今この国にいるのだろうかというのは非常に刺さる問いだと思います。
本書の題名でもある「学歴革命」は、どんな学校を出たかはもはやこれから行きていくには不十分なのだと強く社会に突きつけています。
そもそも大学は、入るための場所ではなく学ぶべきことの溢れる時間であるはずです。そして大学で学ばなけれがいけないのは、世界に飛び出してもそこで困難に負けず共生し、活躍していける適応力であると著者は述べているのです。
私の大学生活は、圧縮できるようなものでした
大学生活、私は手当たり次第にいろんなものに手をつけていました。サークルもバイトも何個も掛け持ち、勉強もきちんと成績が残るまでにはやり、、。3年間はほとんど休みもなく週7で動き続けていたので、友達にも家族にも呆れられるほどでした。
でも、なにかを必死で学んだかと言ったら、よくわからないのです。留学していた8ヶ月間は別として、学んだことは半分くらいに圧縮しても頭に入る程度のものだったんじゃないかと思ってしまいます。
もっと必死で学んでいたら、今自分の中にあるものが倍になっていたかもしれないと思うのは、とても悔しいことです。そして情けないことです。自分ではそれなりにやっていたつもりだったし、結果も認められていないわけではないけれど、それは何かを得た、追い求めたというには私にとってちっぽけすぎるものでした。
英語も、教養も、もっともっとできるのではないか。今でもそう思わずにいられません。そして、実際に情けない自分を後悔しないためには、今やるしかないのだと思います。同時に、今まで真剣に学んでこなかった歴史についても学びたいと思っています。
約3行感想
結局学び舎として成果を上げるのは、厳しいことも徹底して要求するカリキュラムと、惜しみないサポート体制であると思いました。自分を追い詰めないと本当に得たいものは得られないんでしょうね。