これから人類は正解のない未来でAIと共に生きていかなければなりません。そうなった時、計算など答えのある問題で競っているだけでは、機械に仕事を替わられてしまうかもしれません。私達は自分なりのものの見方・考え方を養っていくことが必要と言われています。
「13歳からのアート思考」はそんな自分なりのものの見方を育てる6つの授業から成り立っています。中高生時代に受けた美術の授業をつまらないと感じていた人でも、このアートの授業は面白いはずです。美術史や有名作品を追っていくのではない、今までにないアートの授業を見ていきましょう。
13歳からのアート思考
『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』末永幸歩(ダイヤモンド社)
これからみていくアート思考とは次のような思考プロセスのことです。そして、これから6つのクラスでその思考法について学んでいきます。
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③ それによって「新たな問い」を生み出す
p.13より
6つの授業の構成
- はじめに:表現の花と探求の根について
- クラス1:「すばらしい作品」ってどんなもの?
- クラス2:「リアルさ」ってなんだろう
- クラス3:アート作品の「見方」とは
- クラス4:アート作品の「常識」ってどんなものだろう?
- クラス5:私達の目には何が見えているの?
- クラス6:そもそもアートって何?
はじめに:表現の花と探求の根について
授業に入る前に、そもそもアート思考って何かを少しだけご説明します。本の中では、アートを植物に例えて説明されます。普段作品として私達は「表現の花」を見ています。しかし地面の下には、「興味のタネ」とそこから伸びていく「探求の根」があるのです。
興味のタネからはじまり、好奇心の赴くままに伸びていく探求の根は、ある時一つにまたつながるのだそう。そして、花を咲かせることを目的とするのではなく、この植物を自由に育てることに没頭できる人が「真のアーティスト」と言われます。一方で「表現の花」の出来栄えばかりを気にして、他人の作ったゴーつに向かって作品を作る人は、アーティストではなく「花職人」と言われています。
これからのクラスでは、この見えていない地下の部分にも焦点を当てていくのです。もう今までの授業とは違うにおいがしてきましたね!
クラス1:「すばらしい作品」ってどんなもの?
みなさんはどんな作品を素晴らしいと感じますか?素晴らしい作品を作って、といわれたらそのハードルにドキドキしながらも何を意識するでしょうか。クラス1では「すばらしさ」の価値基準が変化していることに注目します。
目に映るものがより忠実に正確に描かれている絵が素晴らしいとされていたルネッサンス期という時期がありました。ですが、そのアートにおける答えは、カメラの登場によって打ち砕かれることになります。写真で正確な情景や人物を捉えられるようになり、アートにおける「すばらしさ」をみんなが見失ってしまったのです。
そんな時、目に映っている通りに描くというゴールから離れ、色を色として楽しむ方法で絵を描いたのがマティスという人です。色を色として、というと今では当たり前のように感じるかもしれませんが、当時のゴールを覆す探求の根が張られたのでした。こうやって答えが変化していくこと自体が、アートの価値と言えるのです。
クラス2:「リアルさ」ってなんだろう
リアルに物事を捉える、というと遠近法で細部まで描かれている絵を想像するのではないでしょうか。ところが、それが本当のリアルなのか?と問いかけるのがクラス2です。
有名なピカソの絵を、みなさんはリアルだと思うでしょうか。色んな角度から切り取られたような顔。これが遠近法に忠実に描かれている絵よりリアルだということがあり得るのでしょうか?
遠近法は正しいようで、モノそのものを再現しているとは言えないのです。後ろ側がどうなっているかわからない、正しい形は一つとは言えません。また、人は自分の視覚に騙されてものを見ています。ものをいろんな角度から見えるように描くことが、ピカソの実際の世界に近い描き方、つまりリアルさの追求方法だったのです。
クラス3:アート作品の「見方」とは
では次に、アート作品に正しい見方は存在するのでしょうか。結論から言えば、NOです。ここまでの授業の進め方からでもだんだん想像がついてきますね。
作品の背景を知りそこから生まれる問いかけから自分で答えを探していく、「背景とのやりとり」が1つ目の見方です。そして、2つ目の見方として「作品とのやりとり」があります。これは作者の想いとは別に、作品から鑑賞者が直接感じたり考えたりする方法です。
作者が込めた思いが正解なわけではなく、それぞれの個人が自由に思ったことも作品を作り上げる一部となって良いのです。これは普段音楽を楽しむ時に、その曲を自分に当てはめて感傷に浸ったり楽しくなったりする、そういう自由な楽しみ方と同じです。
クラス4:アート作品の「常識」ってどんなものだろう?
自由に探求の根が伸ばされていった結果生まれる表現の花を使って、ここまでの授業が進んできました。ですが、まだまだアートの常識を覆す作品が生まれてくるのです。
デュシャンの「泉」はなんと男性用の便器にサインをした作品です。この作品によって、アートは美しいもの、視覚で感じられるものでなくてはいけないのだという概念が崩壊していきます。
作品自体が美しいものではない。そうである以上、作者の真意について鑑賞する側は考えることになります。これを本書では視覚ではなく頭で楽しむアートと呼んでいます。さあ、アートはついに見えるものではなく感覚・そして思考の世界のものとなってきました。
クラス5:私達の目には何が見えているの?
私達がアートを見る時に、そこに見ているものは何でしょうか。例えばりんごが描かれた水彩画だったら、りんごを感じ取るのが普通です。ですが、本当に見えているものは物質としての紙と水彩絵の具を溶かしたものです。
何をいっているんだと思うかもしれません。しかし、この物質それ自体を表現の花として表したのがボロックでした。それまで「何かのイメージを表現するためのもの」としてのアートの位置づけを解放したのです。
何かを表現したわけではなく、そこにある表現はただ行動の軌跡をたどったものかもしれないのです。そして、それでもいいのだという新しい世界を確立していったのでした。
クラス6:そもそもアートって何?
ここまで、アートと言う言葉それ自体には疑いの目を向けてきませんでした。でも、アートであるものとアートでないものの境界ってなんなんでしょうか。
これに対して、美術館の中と日常生活の間にある意識の壁を取り払った作品がありました。これは洗剤のパッケージデザインをそのまま木箱にコピーしたブリロ・ボックスでした。
これはアートなのか、そうではないのか。美術館の中にもスーパーにも同じものが並んでいる状態。なにがアートなんだろうという根本的な問を投げかける作品でした。これ以降、アートが特別な芸術品という枠組みを持たないものとして認識され始め、自分なりに価値あるものを選び出していくという段階に入っていったのでした。そもそも正解なんてないんだという極限まで来てしまいましたね。
実践編:アウトプット鑑賞
6つのクラスを通して行われることは、自分で作品を描いてみること・自分なりに作品をみてみることです。とにかく感じたこと気づいたことをアウトプットしてみるという書き方です。
どこからそう思うか・そこからどう思うかという2つの問いかけをあわせて使うのもいいそうです。ここまでの授業で見てきたとおり、正解なんて考えず、自由に鑑賞することだけを意識します。
まとめ
授業で扱われた問いと、それに対してアーティストたちが探求の根をのばして出した答えをまとめていきました。アートとは、正解が変化していくもの。だからこそ、既存の概念にとらわれずに常識を破っていくアートが生まれていきました。そしてそれは従来のアートの常識に立ち返って、アートの価値を考え抜いた結果として花を咲かせていたのでした。
これこそが他人の評価や既存の概念にとらわれずに、自分の興味を追及していく力です。自分なりの答えを見つけ出していく力を、アート思考によって身につけたいと思いました。美術館の中のアートだけではなく、生活にもたくさんの興味のタネは埋まっているはずです。自分なりの興味のタネから独自に根を張れる人材になること、それが21世紀を生きる私達に求められるのでしょう。
実際の本の中では6つの作品をメインに鑑賞し、読者ができるアクテビティも含まれています。興味がある人は是非本を読んでみてください😊